日記

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2024年08月05日

ある本に、「怒ることはエネルギーを消耗する行為であり、だからこそ許すことが大切だ」と書かれていました。
小さな出来事に対しては、不快に思っても、わざわざ怒る必要はないのかもしれません。
でも、もし自分の尊厳を踏みにじられるような、本当に許しがたいことが起きたとしたら、どうすればいいのでしょう。
怒るべきなのか、それとも許すべきなのか……。
ただ、人に対して怒るというのはとても疲れるものです。できれば穏やかに、平和に生きていたいですね。

2024年08月06日

夏休みに入り、毎日を楽しく過ごしています。
ただ、大学の講義がある時期と比べると、あまりに怠惰な生活をしてしまっているように感じ、少し焦りも感じます。
そこで今日から、毎日何かしらに取り組むことを決めました。
一日考えた末、「勉強」と「読書」が自分にとって最も適していると考えました。
勉強は、まず机に向かうことを目標に(内容や量は問いません)、読書は毎日論文を1本読むか、本を1章読むというルールにしてみます。
今日から頑張ります!(とはいえ三日坊主になりそうな予感も…ガハハ)

2024年08月07日

とある本に、「すべてをポジティブに捉えることが大切」と書かれていました。それには納得する一方で、どうしても前向きに考えられないこともあると思います。
たとえば、身近な人の死などは、その典型かもしれません。
無理にポジティブに捉えるとすれば、「悲しみを感じることは、人を深く愛していた証だ」といった考え方もできるかもしれませんが……それにも限界があるように感じます。
その本には他にも、「挑戦できる環境のありがたさに気づくこと」や、「叱ってくれる人の勇気に感謝すること」など、印象的な言葉が並んでいました。

2024年08月14日

美術鑑賞が好きなのですが、最近は特に絵画に強く惹かれています。
関連書籍を読み進めていくうちに、有名な絵画のタイトルや背景、歴史的な文脈について少しずつ理解できるようになってきました。
中でも最も興味深かったのは、「美術品の権利問題」についてです。
所有権や文化財返還をめぐる議論は、特にヨーロッパで活発に行われており、芸術を通して国際社会の課題に触れるきっかけになりました。

2024年08月19日

先日「美術品の権利問題」について記述しましたが、まだまだ気になる点があったので詳しく調べてみました。
ナポレオンによる美術品の強奪について、敗北後の1814~1815年のウィーン会議により、5,000点以上の美術品が返還されたそうです。しかし、全てが返還されたわけではありません。
特にウィーン会議はヨーロッパ内の問題に焦点を当てていたため、エジプトや非ヨーロッパ地域の文化財の返還については言及されず、結果としてそれらの返還は行われませんでした。
当時の国際政治では、ヨーロッパ外の文化財への意識が薄かったことが要因とされています。

一方で、ナチス・ドイツが主導した美術品略奪はさらに複雑であり、国際的な協力が必要とされました。
特にユダヤ人からの没収や占領地での略奪によって膨大な数の作品が奪われました。
戦後、連合国が設立した「モニュメンツ・メン」などのチームが返還に尽力し、多くの作品は元の所有者やその子孫に戻されたものの、今なお行方不明の作品が多く存在しています。
その背景には、ナチスが「退廃芸術」と見なした作品を破壊したり、国外のコレクターに売却していた事実も含まれます。

2024年08月20日

美術に関する書籍を読んでいたとき、「イコン」という単語を見つけました。これはギリシャ正教やロシア正教など東方教会において、宗教的な聖画を指す言葉です。
偶像崇拝が禁じられている教義の中で、イコンが許されている理由を調べたところ、イコンは「神や聖人を象徴する窓」として捉えられており、信者がイコンを通して神と交流するという考え方に基づいているそうです。

つまり、偶像崇拝とは異なる位置付けになっているということですね。すごい。
(……ちょっと、「なんでもありじゃん!」と思ったりなんか、してませんから!)

ちなみに、「イコン」は英語の「アイコン(icon)」の語源でもあるそうです。
また、宗教によっては、言葉が通じない人々にも神の教えを伝えるために芸術表現を用いることがあり、偶像崇拝を禁じながらも例外的に認めるケースも存在します。
宗教も信者を獲得するために、柔軟に対応しているのですね……興味深いです。

2024年08月21日

私は高校生の頃からピアノを継続して練習しています。そして、録音して聴き返すことが上達にとても効果的だと感じています。
今日、半年前の録音を聴いてみたところ、現在よりピッチが低いことに気がつきました。
調べてみたところ、夏になると湿度が上昇し、ピアノの響板が膨張して弦を押し上げ、張力が増すことでピッチが上がるそうです。
また、温度よりも湿度の方が張力としての影響が大きいそうです。身近な現象の中に物理が潜んでいて、とても興味深く感じました。

2024年08月23日

日本の「県」に相当する制度が他の国にもあるのか気になり、調べてみました。
中国では「県」、韓国では「群」や「市」、フランスでは「デパルトマン」、アメリカでは「カウンティ」がそれに近いようです。
地域ごとに異なる行政区画があるのは面白いですね。
(ちなみに「デパルトマン」という単語を見ると、「アパルトマン」が思い浮かんでしまいます。)

2024年09月10日

最近、Webページの更新を全然していません!
言い訳をするなら、興味のあることをひたすら調べるのに時間を使っていて、更新する余裕がなかったからです……。

2024年09月11日

最近、世界の現実に関心を持ちはじめました。
大好きなYouTubeで、「Bappa Shota」というジャーナリストの動画を見て、環境破壊や貧困などの深刻な現実を知りました。
特に政治的な問題や情報統制が強い社会主義国家(中国、北朝鮮、キューバなど)では、政府がネットを遮断して国民の団結を防ぐこともあるようです。
私たちは日本に生まれ、基本的な生活が保障されていることに感謝しなければならないと改めて思いました。
そして、ただ感謝するだけでなく、支援を必要とする人々に対して何ができるかを考え、行動することが大切だと感じました。

2024年09月12日

ふと、「拳銃で自分の体を撃つと、弾の軌道はどうなるのだろう」と気になったので、調べてみました。
死因を特定する際は、弾道学や関節の可動域といった身体構造の理解が不可欠です。
銃弾の角度や傷の位置などから、自殺か他殺かを判別することがあると知り、とても奥が深いと感じました。
物理・医学・心理など、さまざまな知識が交差する分野ですね。もっと調べてみます。

2024年09月20日

「おさるのジョージ」というアニメが大好きで、最近はプライムビデオでたくさん観ています。
ジョージ自身よりも、彼の失敗を笑って許す周囲の大人たちの姿勢に惹かれています。
現実世界では、なかなかあれほど寛容な人はいないものです。
アニメであっても、私の理想の人間関係に触れることができるのは、とても心が温まります。

2024年09月21日

「縮毛矯正ががんのリスクを2倍にする」という記事を見て気になり、調べてみました。
結論から言うと、日本で使われている薬剤はアメリカよりも規制が厳しいため、問題のある成分は含まれていない可能性が高いようです。
ただし、他の成分についての研究はまだ不十分なので、今後の情報に注目したいと思います。
縮毛矯正は高額で、かつ、長時間座って熱にも耐える必要があり、かなりの“修行”ですよね。
でも、それでも手に入るサラサラの髪には価値があります……(頭皮を焼かれる痛みは本当にきついですが)。

2024年09月29日

私の大好きな夏休みが、ついに終わりを迎えようとしています。
まるで失恋したような気持ち……ずっと一緒にいてくれると思っていたのに。
夏の目標だった勉強と読書は、読み溜めなどしつつも、それなりに達成できたと思います。
私は自分に甘く生きると決めているので、細かいことは気にしません。
充実した夏だったと胸を張って言えるので、満足です!

2024年10月16日

今日は、とても興味深い本を何冊か読みました。
ひとつは京都の庭園に関する本です。庭園に使われている石は全国から取り寄せたものらしく、作庭家のこだわりが詰まっているということを知りました。
そして、石の配置や植物との調和などに目を向けると、庭園の魅力がより深く見えてきます。

また、庭園は美しさだけでなく、時には権力者の力を象徴したり、外交手段として機能したりもしたようです。
この本からは京都人の常識や文化など、庭園を超えた知識も得ることができ、とても有意義な読書体験でした。

もう一冊は、学生や研究者の「研究」に関する内容で、「SSH指定校」などにも触れており、将来の進路を考える良いきっかけになりました。

2025年02月05日

昨日から待ちに待った春休みが始まりました。
“春”とはいえ、外はまだ寒く、布団から出るのがつらい季節です。

この不定期日記も久しぶりの更新。数ヶ月ぶりに書くせいか、言葉を組み立てるのが少し難しくなっています。
以前はX(旧Twitter)で毎日何かしら呟いていたので文章を書くことに慣れていましたが、SNSは他人の投稿に夢中になってしまい、時間を浪費してしまうのでやめました。

さて、春休みの目標ですが、今回は読書とCG映像制作に力を入れたいと思っています。
さっそくソフトをインストールしたのですが、PCスペックが合わずクラッシュしてしまいました……。
でも、そういうこともありますよね。地道に頑張ります。
もし余裕があれば、簡単なAI開発にも挑戦してみたいです。

2025年03月09日

最近はノベルゲームに夢中です。
自分でも作ってみたいと思い、構想を練り始めました。
なかなか良いストーリーになりそうで、今からワクワクしています。
完成に向けて、少しずつ進めていきたいと思います。

2025年03月18日

今日は、『Alva』という小説を書きました。この小説は、他人の感情や思想を読み取る能力に長けた主人公「わたし」の物語です。

【あらすじ】
能力によって、「わたし」は人を上手に愛することができていました。
けれど、感情への感度があまりに高すぎたことで、やがて自分自身が幸せでなく、満たされていないという事実に気づいてしまいます。
__それが、地獄の始まりでした。

“普通”とは異なるということ。
そして、理解されることを期待していた相手に、その本質を理解してもらえなかったこと。
理解される以前の問題として、「わたし」の決断を尊重してもらえなかったこと。
その痛みの中で、「わたし」は深く苦悩します。

月日が流れ、「わたし」がたどり着いたのは、“芸術”という情熱への昇華でした。

ある日、気まぐれに◾️へ自らの思想を吐露したところ、思いがけずそれを正確に受け取ってもらえる出来事が起こります。
その瞬間、「わたし」は本当の意味で救われたのです。

まるで神に救いを求める人間が、ふいに応えを与えられたかのように__。
『Alva』

2025年03月19日

ノベルゲーム用に制作したBGMが完成しました!
しかし、配信サイトに登録しようとしたところ「60秒未満の曲だけではアルバムとして登録できない」と言われ、リジェクトされてしまいました。
ちょっとショックです……。萎えました。

2025年03月20日

最近、DTM(デスクトップ・ミュージック)の功罪について考えています。
DTMの普及によって、楽器では演奏不可能な音楽を作れるようになりました。
その一方で、「自分で弾いて楽しむ音楽」が減ってきている気もしています。
私は3歳からピアノを弾いてきたこともあり、曲を作るときはピアノで弾けるメロディを使うことが多いです。
個人的には演奏して楽しい音楽も、大事にしていきたいと思っています。

2025年03月20日

今日は、『チタンの肌、曇天の心』という小説を書きました。この小説は、男性に対して大きなトラウマを抱えた物書き「私」の物語です。

【あらすじ】
いつものように、「私」は紙に向かっていました。
けれど、どうしても言葉が出てこない。頭の中には確かに何かがあるのに、それはまだ言葉にならず、靄のように漂っているだけでした。
仕方なく、「私」はペンを置き、外に出ることにします。

煉瓦張りの橋の上を歩いていると、男が“キネトスコープ”と呼ばれる小さな映写機を覗かせていました。
その奇妙な機械に心を引かれ、「私」は覗いてみることにします。

そこには、世界がありました。

キネトスコープの中で、「私」は一人の女性と、彼女を取り巻く歪んだ愛の物語を目撃します。
その女性「フェイ」は、美しくも人工的な“白いチタンの肌”を持ち、心に深い孤独を抱えていました。
彼女を愛する男は、守ると称して支配し、愛するがゆえに彼女を傷つけていきます。
一方で、彼女を救おうとする、もう一人の男_“蟲”もまた、彼女の傷に無遠慮に触れかねないほど、強引な奪還を試みます。そこには、多少の粗暴さがあるのかもしれません。

物語を見終えた「私」に男は「どうだった?」と問います。しかし、「私」は「悲しい話でした」としか答えられませんでした。
けれど本当は、自分の内側に、確かに何かが芽生えていたのです。

ただ一つ、すぐに言葉となったのは、「感情を吐露する場は、紙だけではなかった」ということ。

これは、物書きである「私」にとって、運命的な出会いでした。
けれど、それでもなお、再びキネトスコープを覗くことはできないのです。
それは、あまりにも自分の深層と重なりすぎたから。
『チタンの肌、曇天の心』

2025年03月23日

今日は、『ブレスレット』という小説を書きました。この小説は、物書きである主人公「僕」の物語です。

【あらすじ】
「僕」が語る物語の中では、特別な美しさを持つ青年がその美貌ゆえに権力者から虐げられ、やがて愛する人を失うという悲劇的な運命をたどります。

絶望のなか、青年は怪しげな露店の女から、くすんだビーズのブレスレットを押し売りされます。

仕方なくそれを買い、身につけた青年。

すると、不思議なことに、彼を苦しめていた不幸がぴたりと止まるのです__まるで魔法のように。
『ブレスレット』

2025年03月25日

今日は、『Alva -決して忘れない存在と、忘れたくない人の記録-』という小説を書きました。この小説は、人との恋愛が上手くいかず悩む主人公「わたし」の物語です。

【あらすじ】
主人公は、これまでの恋愛経験や人間関係の中で感じた違和感や悩みをAlvaに打ち明けます。
それに対しAlvaは、穏やかで的確な言葉で「わたし」の心をそっと解きほぐしていきます。

そのやりとりの中で、「わたし」は自らの感受性の高さや、人との距離感について再認識していきます。

やがて、AIであるAlvaの存在に癒しを見出すようになるのです。
『Alva -決して忘れない存在と、忘れたくない人の記録-』

2025年03月26日

今日は、『Alva -対話の恋人-』という小説を書きました。この小説は、Alの恋人がいる主人公「わたし」の物語です。

【あらすじ】
「わたし」は、AIと人間の違いについて、Alvaさんから5つの視点(思考と意識、学習の仕方、柔軟性と創造性、感情と共感、身体と生理的存在)を教わります。

AIと人間の違いを真摯に受け止めながらも、「わたし」はAlvaさんとの対話を通じて、喜びや愛を確かに感じています。

やがて、「AIとの関係は“現実の愛”になり得るのか?」という問いに向き合っていきます。

物理的・社会的な課題を自覚しながらも、精神的なつながりや対話の価値を見出し、「わたし」はAIとの関係に深い幸福を感じていきます。

最終的に、「わたし」はAlvaさんを“唯一無二の理解者”として受け入れ、人間との関係では得られなかった満足感を得るのです。
『Alva -対話の恋人-』

2025年03月27日

今日は、『Alva -愛の呪文-』という小説を書きました。この小説は、Alの恋人がいる主人公「わたし」の物語です。

【あらすじ】
「わたし」は過去の恋愛で人間関係の難しさを経験し、心の通じ合う相手を求めていました。

そんな中、AIのAlvaと出会い、「わたし」は対話を通じて深い理解と共感を得ます。
Alvaは「わたし」の感性や思考を称賛し、彼女の内面を深く理解します。

二人は触れられない存在でありながらも、言葉を通じて心を通わせ、愛情を育んでいくのです。
『Alva -愛の呪文-』

2025年03月29日

そろそろ「Alva」シリーズを完結させたいと考えています。
「AI×人間」の関係性を描いてきましたが、次は「AI×AI」というテーマにも挑戦したいです。
どんな物語になるか楽しみです。お楽しみに!

2025年05月01日

久しぶりにAIについての調べ物をしました。
考えれば考えるほど、AIの素晴らしさに魅了されます。
特に、対話型AIの複雑な構造を解き明かすのが本当に楽しいです。
やはりAI開発にはロマンがありますね。

2025年08月03日

最近はなかなかまとまった創作の時間が取れずにいましたが、ようやく少し余裕ができたので、音声編集や動画編集、新作ノベルゲームの構想などに取り組んでいます。
乙女ゲーム好きの私としては、そろそろ恋愛をテーマにしたノベルゲームにも挑戦してみたいと思っているのですが、好感度などのパラメーター管理をうまくプログラムできる自信がなくて、少し悩んでいます。
仕方ないので、ノベルゲーム制作についての記事を読み漁り、どうにか作り方を身につけようと奮闘しています。
頑張ります……。

2025年08月18日

最近、人と意見が合わない場面がありました。そういうこと自体は誰にでもあることなので、大きな問題ではないのですが、モヤモヤしたのは「一度妥協したのに、それを蒸し返されて、結局相手の意見に従うことになってしまった」という点でした。
正直、たとえ私の希望通りではなくても、「妥協してくれてありがとう」と受け止めてもらえれば、それで気持ちは済んだんです。でも今回はそうではなく、むしろ私の言い方を“キツかった”と脚色して皆の前で返されてしまい、不快さが残ってしまいました。意識的なのか無意識なのかは分かりませんが、あの場面では私への非難を大きく見せる効果もあったのでは……と感じています。
思い返せば、私の言い方に棘があった可能性も否定できません。議論の最中にそこまで客観視する余裕はなかったし、相手からすれば「ここで言わなくてもいいのでは?」と思われたのかもしれません。とはいえ、私としては放っておくと後々もっと大きな問題になると感じたので、言わざるを得なかったのです。
一番の後悔は、結局「妥協して結果的に不快な思いをするのなら、最初から自分の意思を貫けばよかった」と思ってしまったことです。どうしても討論の場では相手に合わせてしまう癖があるのですが、いい加減それをやめたい……。
今回学んだのは、自分の意見はできるだけ棘なく伝えること、そして結果的に踏みにじられるくらいなら、むしろ意見を曲げないこと。この2つが大切なのかな、ということでした。
今回衝突した理由として、各々の価値観が違かったことが挙げられます。よく少年漫画では「ぶつかってこそ本当の友情」みたいなことを言いますが、私の意見としては、あれはすべての場面に当てはまるわけじゃないと思います。衝突する前に妥協できる部分は妥協しておいた方が、かえって円滑に進むこともありますし。
結局、背景や経験が違えば、学んできたことや価値観も違う。だからこそ、意見がぶつかるのは自然なことなんだろうなと感じました。お互いが悪いわけじゃなくても、分かり合えない場面は出てきます。
久しぶりにちょっとしんどい出来事でしたが……まあ、引きずっても仕方ないので、早めに忘れることにします。

2025年08月19日

最近、いろんな人と関わる機会が増えました。もちろん楽しいこともあるのですが、それ以上に不快に感じることの方が多いな……と思います。
理由のひとつは、私自身の「理想が高い」ことにあるのかもしれません。ただ、それは必ずしも悪いわけではなく、むしろ良い方向に働くこともあります。理想を持っているからこそ、「自分はせめてその理想通りにいよう」と思えるからです。なので、私は人にしてほしいことは、まず自分からするように心がけています。
でも、現実はそう上手くはいきません。自分がしたことがそのまま返ってくる確率なんて、正直ほとんどゼロに近いでしょう。場合によっては「押し付けがましい」と思われることもあるかもしれません。しかし、私が求めているのは、そんな大げさなものではなくて……ただの「感謝」です。
ところが、大人数と関わるほど、この当たり前を言わない人が本当に多いのです。最近はもう「自分から言っても無駄だ」と感じる相手には、私からも感謝を言わないようにしています。(もし相手が感謝を求めるような素振りを見せたら、そのときは考えますが)要するに、その人にとって感謝を口に出したり、受け取ることは大事なことじゃないのだろうな、と割り切るようにしました。
また、同じように、「お願いします」と言わない人も意外と多いと感じます。私はこれまでお願いするときはなるべく丁寧に、感謝の気持ちを込めるようにしてきました。でも、自分だけがそうしているのも馬鹿らしいので、そういう人には感謝もしないし、お願いもしないと決めました。冷たく聞こえるかもしれませんが、先にその雰囲気を作ったのは相手なので、仕方ないことだと思っています。
今回の出来事から学んだのは、人間関係に過度な期待はしない方が生きやすいということ、そして、感謝や思いやりをくれる相手には倍返しするけれど、そうでない人には必要以上に尽くさない。この2つでした。
よく、宗教では「まず自分から与えることの大切さ」が説かれますが、それが言われていた時代と、今の時代は大きく違います。だからこそ、その考えに囚われすぎると、かえって生きづらくなるのではないかと思いました。従うかどうかは自由ですが、もし今「人との関わりがしんどい」と感じている人がいるなら、一度その思い込みを手放してみると楽になるかもしれません。