Flakia's Novels

ブレスレット

男は徐に手を伸ばすと、その手首を締め付けるブレスレットをずらし、白い跡に爪を立てた。
それは小麦色に焼けた肌とは対照的に酷く青白く、そして妙に艶かしい質感を帯びていた。
空気の震えを感じたのか、男はこちらに眦を向ける。
優しい緑の瞳が、空気に揺らめいた。

誰かの痛みが、僕の作品を形作る。

僕は直接の被害者ではない。
だからこそ、僕はまだ元気で、死なずに生きてこれているのだ。
そして僕は、その痛みを誰かに伝えるために作品を作っている。

一言で言うならば、僕は物書きである。
とはいえ、人生を賭けて書いてきたというほど熱心でもない。
せいぜい趣味程度にチャラチャラとやっている人、くらいの立ち位置だろう。

僕は昔から、正しい文章が好きであった。
例えば、主語と述語がきちんと釣り合い、嘘のない言葉で書かれた文。
けれど、正確さを少し抑えたような比喩とも気づかれない比喩を使ったり、あえて語らないという選択をしたり、難解な単語を多用したりする__そんな天邪鬼な一面もある。

それは、僕自身の「消化の遅さ」のようなもの、そして題材にする誰かの経験があまりにも重いことが強く影響している。

感情を言葉にするのは得意だが、それを他人に語るのは苦手だ。
僕は、あまり自分を開示したくない。他人を信用していないのだ。
昔は信用していたが、勝手に期待しては裏切られることを何度も繰り返してきたものだから、信用すること自体が馬鹿らしくなってしまった。
それに、少しばかり恥ずかしさもあった。
誰かに聞いてもらうほど、僕の人生は目新しいものでも、深みのあるものでもないと思っていたのだ。

それでも、僕はそろそろ自分の過去に向き合わなければならない。
そういう年齢に差し掛かってきたのだ。
だから僕は今日、拙い日本語で書こうと思う。



きみは、自分が持つ才能を理解しているか?
僕の場合は、クリエイティビティだと思う。
実際、ここまで物書きとしてやってこれたのだから。

僕は特別な才能を持つ人が、その才能ゆえに悪魔に目をつけられ、魂を吸い取られ、朽ち果てていくのを見たことがある。
その人は視線、期待、性的搾取、そして加害性から逃れるために老いを切望した人だった。

彼の名前を知っているか?……知らないか。
昔は有名だった。彼ほど美しい人はいない、と。
でも、彼は美しすぎた。人々をあまりに魅了してしまった。

彼は王に捉えられた。
器のある王なら、たとえ弄ばれるにせよ、まだ救いがあったかもしれない。
彼は運が悪かった。
彼を捉えたのは、暴虐の限りを尽くす王だった。

初めは金で物を言わせていた。
彼の家族にも手を出した。
「お前が反抗すれば、家族の命はない」
そう告げられるたび、彼は怒りを押し殺して薄汚れた地面に膝をつく。

あまりに酷いやつだった。
言うことに従わなければ鞭で打ち、気に入らなければ食事を与えず、暴れれば手枷足枷をはめた。

__あまりに、酷かったんだ。

彼の才能__「美しさ」というものは、神の贈り物だったのかもしれない。
あれは、そんなことでは曇らなかった。
血まみれても、痩せこけても、薄汚れても。
普通ならそんな酷い扱いをされた人がいたら、心配が勝るはずだ。
けれど、彼の場合は違った。
あの美しさのせいで、どんな姿でも“様になってしまった”のだ。

それが、彼の苦悩だった。



月日が経ち、彼はいつものように寝所で王の相手をしていた。
隙を見て盗んだ短剣を強く握り、そして、ついに王の胸を刺したのだ。

あぁ。真ん中をひと突き、ね。

あの王がいなくなれば、自分は人間として尊重される。
__そう信じていた。信じていたのに。

次の王はまともそうな顔をしていた。
中身は、先王と同じだった。
彼を蹂躙し、己の欲のままに扱う。そんな男だった。

彼は怒り、そして絶望に呑まれた。

彼は己の美しさのせいで不幸になったのだと、心を病んでしまった。
少年から青年に成長したにせよ、彼はまだ子どもだった。
本来なら、両親に庇護されるべき存在だった。



彼の不幸は、ある日突然終わりを迎えた。
魔法使いが杖を振るうように。
肌を刺すような冷たい冬が春に移り、無機質な氷が溶けるように。

彼の人生にようやく、幸せの音が近づいてきた。
__運命の人との出会い。

彼女は「フェイ」という名であった。
彼女もまた、美しい女性だった。
彼らは恋に落ちた。誰もが二人を祝福した。

けれど、幸せは長くは続かなかった。

フェイは攫われてしまった。
彼女の匂いが染み付いた寝具。温もりは霧散してしまった。

血眼になって探した。けれど、彼女が見つかることはなかった。

彼女は本当に美しい人だった。
隣にいても引けを取らないほどの美しさであったと、僕は思っている。



彼女がいなくなってから、人生は壊れた。
生き甲斐も、何もなくなってしまった。

ぼうっと昏い虚空を眺めながら夜道を彷徨っていたら、露店の女が声をかけてきた。

「呪いをかけられているね」と。

女は闇に紛れそうな黒いフードを目深に被り、くすんだビーズのブレスレットを差し出してきた。

……よくある商法だ。
最初は無視するつもりだった。
だけど、気づけばそれを受け取っていて、いつの間にか金も払ってしまっていた。

……払ってしまったものは仕方がない。
そう思い、その日からあのブレスレットをつけるようにした。
人生を蝕む呪いのような不幸は、あたかも初めから全て悪い夢だったかのようにピタリと止んだ。

本当に魔法のように。



結局何を言いたかったのか忘れてしまった。
ああ、一つだけ。

トラウマは、消せない。

それはある意味、僕たちを形作るものだから。
それを全て抜き取って消し去ってしまえば、僕たちの形は崩れる。

トラウマは大きな化石のようなものだ。
掘り返せば、地層は音を立てて崩れ落ち、風景そのものが変わってしまう。

けれど、そのまま埋めておくのも大変だ。
いつ掘り返されるか分からない爆弾を、永遠に抱えて生きるようなものだから。

__僕の話は、これでおしまい。おしまい。



窓から刺すような光が降り注ぎ、男の輪郭を強調した。
鋭い影は原稿に影を落とす。男はそれを見つめると、困ったように笑った。
くすんだビーズのブレスレットは、これからも物書きの手首で鈍い光を放つのだろう。



【解説】
ここからは、『ブレスレット』の解説をしていきます。
本文を読んでからこちらを読んでいただけると、よりお楽しみいただけると思います。

この作品には、「語られた痛み」と「語られなかった痛み」その両方が同時に存在しています。

物語の語り手である「僕」は、自らを“直接の被害者ではない”と語ります。
そして、他者の痛みを受け取り、その痛みを言葉にすることで伝えようとする__そんな苦悩と使命感を抱えて生きているように見えます。

けれど、それは本当に“真実”なのでしょうか。この物語は、一体「誰の」お話だったのでしょうか。

冒頭には、こんな一節があります。
「僕は直接の被害者ではない。〜 その痛みを誰かに伝えるために、作品を作っている。」
「僕は、特別な才能を持つ人が、その才能ゆえに悪魔に目をつけられ、魂を吸われ、朽ち果てていくのを見たことがある。」

これらの文章が示しているのは、「僕」が他人の痛みを語っているという構図。つまり、この物語は「僕ではない、誰か別の人の物語」だという前提です。しかし、読み進めていくうちに、それは少しずつ揺らぎ始めます。

「僕」と「美しい彼」は本来、別の存在であるはずなのに、語りが進むにつれて二人の境界が曖昧になっていくのです。

例えば、こんな言葉があります。
「__あまりに、酷かったんだ。」
「あぁ。真ん中をひと突き、ね。」
「信じていたのに。」
「生き甲斐も、何もなくなってしまった。」
「これがまた驚きで、本当に魔法のようだった。」

「僕」は「美しい彼」の痛みに寄り添いすぎています。まるで、自分のことのように。それは__“自分自身の痛み”だったのではないか、と思えるほどに。

この疑念を確信に変えるのが、最後の一文です。

「くすんだビーズのブレスレットは、物書きの手首で鈍い光を放つ。」

ここで初めて、「僕」自身が、これまで語られていた物語と“地続きの存在”であることが明らかになります。では、なぜ「僕」は「美しい彼」をあたかも他人のように語ったのでしょうか。私が思うに、それは「僕」にとって“自分自身の過去を直視することが、あまりにも苦しかったから”ではないでしょうか。

彼は「物書き」として、誰かの物語としてそれを語らなければ、自分を守れなかったのです。

冒頭で語られた「僕は直接の被害者ではない」という言葉は“嘘”だったのでしょう。

語り手である「僕」は、自身の痛みをまだ真正面から受け止めきれずにいます。それでも、誰かに何かを伝えたくて、物語という形で感情を紡いでいった。これは「誰かの話」に見せかけた「僕自身の独白」__そして、“語られていた悲劇の主人公”こそ、「僕」だったという構造なのです。それはまさに、「自己神話化された記憶の再生」であり、物語という形で心を守ろうとする本能的な行為だったのです。

彼には、自分を守りながらも誰かに伝えたいという切実な願いがあった。「僕」は、生粋の物書きだったのです。だから、彼は語れる形で語れる分だけ言葉にした。それこそが「物語を紡ぐ」という行為の本質であると、私は思います。

傷ついた人は、誰かの物語を語ることでしか自分自身の物語を語ることができないのです。人に語ること、紙に綴ることには計り知れない意味があります。特に“トラウマ”に関しては、それを“出力”することにこそ大きな価値があるのです。
それはきっと誰かの糧になるから。そして何より、出力するという行為によって少しずつトラウマから距離を取ることができるからです。

今回の物語は、例えると「化石の発掘」でしょうか。スコップで心という地層を掘っていく過程には、痛みが伴います。忘れかけていた記憶が蘇ったり、思いがけない傷と向き合うことになるかもしれません。けれどもしその化石を掘り出して、博物館のような場所に展示できたとしたら__恥ずかしさや戸惑いを抱えながらも、それはきっと誰かの“研究”や“人生”の糧になるのです。

物語に登場する「王に囚われた美しい彼」の話は、一見すると幻想的で寓話のように映ります。しかしその実、現実の中で繰り返されてきた“支配”や“抑圧”の象徴であり、読み進めるほどにその重さが露わになります。

「くすんだビーズのブレスレット」というモチーフは、過去の痛みを完全に癒すことはできないけれど、それでも安定して生きていくための“ささやかな象徴”です。それは、呪いであると同時に救いでもある。
物書きである「僕」は、おそらく日常的に自らの手元を見るのでしょう。手首にそのブレスレットがあることで、「美しい彼」としての苦しみ、あるいは救いの感覚を、ふとした瞬間に思い出すのかもしれません。

ここからは持論になりますが、トラウマは消えません。どれほど足掻いても、忘れたふりをしても、完全に消し去ることはできないのです。私たちはそれを抱えたまま生きていくしかないのです。きっと、それが“人生”というものなのでしょう。
トラウマは、ときに私たちの思想や生き方を形作る力を持ちます。だからこそ、それを無理に消してしまえば私たち自身の輪郭もまた、ぼやけてしまう。仮に、過去の記憶を消すことで痛みから逃れたとしても、その先に残るのは「私たち」ではないのかもしれません。
トラウマは私たちを傷つけ、痛めつけ、苦しめます。それでも、決して手放すことができない。だからこそ、私はこう言いたいのです。「トラウマは、大きな化石のようなものだ」と。

ちなみに、前作『チタンの肌、曇天の心』に登場するフェイと、今作で語られる“彼にとっての救い”であったフェイは同一人物です。
フェイという存在は、常に「人間性」と「美しさ」、「傷」と「救い」の象徴のように在り続けています。前作の語り手にとっては“唯一、生きている存在”であり、同時に“触れてはならない幻想”でもある。今作で、別の視点から同じフェイが語られることで、彼女はただの登場人物ではなく、それぞれの語り手が持つ“救われなかった部分”を映し出す「器」として立ち上がってきます。